睡眠科学の最前線:夜のために昼を生きる
上田 ─ 睡眠の研究者たちは「夜眠るために昼間活動している」という表現を使うことがありますが、これは科学的な事実です。私たちの脳は、昼間の活動や経験を、夜の睡眠時間中にしっかりと整理し、記憶として定着させる仕組みを持っているんです。
向井 ─ 睡眠中の脳は休んでいるというイメージでしたが、実は活発に動いているんですね。
上田 ─ そうなんです。実は、脳の動き方は起きているときと寝ているときではまったく異なります。たとえるなら、起きているときはマラソンのように一定のペースで動き続けるのに対し、寝ているときは100メートル走を何度も繰り返すように、強い活動と休息を交互に繰り返すんです。驚くことに、この短い活動の瞬間は、起きているときよりもずっと活発なことがあります。
向井 ─ 寝ている間、そこまで脳が働いているとは驚きです。具体的にはどんなことが起きているのでしょうか?
上田 ─ 私たちの脳は、無数の細かい神経が網の目のようにつながって情報をやり取りしています。最新の研究で分かってきたのは、起きている間の活動で疲れてバラバラになった神経のつながりを、睡眠中に修復していると
いうことです。朝、すっきりと目覚められるのは、この修復が上手くいった証なんです。
向井 ─ 昼間の出来事を整理しているような感じなんですね。
上田 ─ その通りです。特に興味深いのは、昼間の感動や新しい体験が、夜の深い眠りにつながることです。2016年の研究で、昼間に感動したり脳が活性化したりすると、細胞の中にカルシウムという物質が蓄積され、それが良質な睡眠のもとになることが分かりました。
向井 ─ ディズニーランド帰りの子どもをイメージすると、わかりやすいですよね。新しい体験で脳が興奮して、細胞が興奮して、ぐっすり眠ってしまうという。ちなみに、この「感動」って、新しいことに出会うだけでなく、同じことに心が動く状態も含まれるんでしょうか? 私の友人が韓流スターのヨン様の大ファンで、同じDVDを観ながらずっとときめき続けているんです。
上田 ─ はい、その通りです。新しい体験でなくても、その人にとって心が動く出来事なら、脳は活性化します。ときめきや感動は、とても重要な要素だと思います。
向井 ─ 以前産婦人科に入院していた時、主治医の先生が「ヨン様に表彰状を贈りたい」とおっしゃっていました。50代、60代の女性たちが純粋に「キャー!」と叫べるような存在は、それまでの日本にはなかった。その 〝ときめ
き〟 で免疫力が上がったんじゃないかって。私も夜ぐっすり眠るために、ときめきを探さないとですね(笑)。

睡眠を脅かす日本の明るさと受験戦争
上田 ─ 日本は先進国の中で最も睡眠時間が短い国です。私たちの研究室には海外から多くの研究者が訪れますが、みな「日本の夜は明るすぎる」と驚きます。たとえば現在私が拠点の一つを置くイギリスをはじめ、ヨーロッ
パ諸国では夕方になると街全体が自然と暗くなっていきますが、日本の都市は夜遅くまでまるで昼間のように明るい。この環境が、私たちの脳から良質な睡眠を奪っているんです。
向井 ─ 明るすぎることって、深刻な問題なんでしょうか?
上田 ─ はい。人間にとって適切な睡眠をとる権利は、食事や住居と同じように基本的な人権のひとつだと考えられています。夜の明るさや長時間労働などの社会環境によって、睡眠が妨げられている状況は、まさに人権侵害
と言えるかもしれません。特に心配なのは子どもたちへの影響です。
向井 ─ 以前、PTAの卒業対策委員の活動で小学6年生の教室を訪れる機会があったのですが、お肌がボロボロの児童が多く、写真を展示する際にフォトショップで修正が必要なほどでした。その学校では多くの子どもたちが中学受験をしていたので、深夜11時、12時くらいまで受験勉強をして、朝は5時に起きて学校の宿題をしてから登校する、というような生活をしている子も珍しくなくて。
上田 ─ 日本の子どもたちの睡眠不足は事実、深刻な問題です。私たちの調査では、医学的に推奨される睡眠時間を守れている小学生は、10%にも至りません。1万人の睡眠測定を行った結果、特に都市部の子どもたちの睡
眠不足が顕著でした。子どもの脳は発達の途中なので、睡眠不足の影響はより深刻になる可能性があります。

年齢と共に老化してしまう安眠の「門番」
向井 ─ 最近、年齢とともに眠りが浅くなった気がするのですが、これは私だけでしょうか?
上田 ─ いいえ、それは自然な変化なんです。実は私たちの脳には、外からの刺激を遮断する「門番」のような細胞があります。若い頃はこの門番が頑張って働いてくれるので、多少の物音があっても熟睡できます。でも年齢と
ともにこの細胞の働きが弱くなってしまい、ちょっとした音や体の中からの信号、たとえば尿意などでも目が覚めやすくなってしまうんです。
向井 ─ なるほど。雨風の音が気になったり、トイレに行きたくなって何度も起きてしまうのは、そういう理由だったんですね。これは改善できないのでしょうか?
上田 ─ 年齢による変化そのものは避けられませんが、睡眠環境を整えることで、より良い睡眠は可能です。たとえば、寝室を暗くする、適度な温度を保つ、就寝時間を一定にするといった工夫が有効です。また、私たちは2020年から、一人ひとりの睡眠パターンを科学的に分析する睡眠健診も始めています。
向井 ─ 睡眠健診で、どのようなことが分かるのですか?
上田 ─ 睡眠リズムの乱れから、うつ病や認知症の予兆を捉えられる可能性があります。また、お子さんの場合は、発達障害の早期発見にも役立つかもしれません。早めに気づくことで、適切なケアや予防につなげることがで
きます。
夜勤者の睡眠をどう守るか
向井 ─ 医療現場や介護施設など、24時間体制で動いている職場で働く方々の睡眠についても気になります。以前入院していた際に、夜勤で回ってきてくださる看護師さんたちや当直で徹夜なさることもある先生たちの体調が
心配になったことがあります。
上田 ─ 日本は、夜勤労働を含むシフトワーカーの方も多いですからね。シフトワーカーの皆さんの睡眠の研究も、実は進んでいます。そのなかで、同じ夜勤体制でも、健康を害するシフトパターンと、そうでないパターンがあることが分かってきました。また、仮眠の取り方にも良い方法と、そうでない方法があるんです。
向井 ─ 看護師の友人は、「16時間勤務の後はへとへとで、次の勤務までとにかく熟睡したいんだけれど、うまく眠りにつけない」と言っていました。
上田 ─ そうですね。与えられた制約の中でどう睡眠の質を最適化するか。一人ひとりの体調や生活リズムに合わせて、適切な仮眠のタイミングを見つけることが大切です。今、世界中でシフトワーカーの睡眠研究が進んでいて、たとえば夜勤明けの休みの取り方一つとっても、体への負担が少ない方法が見えてきています。
向井 ─ 具体的にはどのような方法なんでしょうか?
上田 ─ 夜勤中の短い仮眠も重要なのですが、夜勤明けの休息の取り方がより重要です。体内時計を大きく乱さないためには、「完全な昼夜逆転」は避けたほうがいい。夜勤明けに長時間眠ってしまうと、次の勤務に向けての体調管理が難しくなります。そこで、短い仮眠を複数回取るなど、工夫が必要になってきます。
向井 ─ それは興味深いですね。病院の先生や看護師さん、介護職員の方々は、患者さんの命を預かる大切なお仕事をされているので、ご自身の心身の健康管理も重要ですよね。上田 ─ その通りです。シフトワーカーの方々の適切な睡眠は、本人の健康のためだけでなく、社会全体の安全にも関わる重要な課題です。私たちの研究成果が、少しでも現場で働く方々の健康管理に役立てばと考えています。

季節と眠りの不思議な関係
向井 ─ 活動の時間帯に限らず、冬の時期は日照時間も短く、なんとなく気分が沈みがちになることがありますが、これも睡眠と関係があるんですか?
上田 ─ はい。私たちの体には、時計だけでなくカレンダーも備わっているんです。たとえば春と秋は、同じくらいの日の長さなのに、体の反応はまったく異なります。
向井 ─ 確かに、季節によって気持ちも変わりますよね。春はなんとなくウキウキして。
上田 ─ それには生物学的な根拠があるんです。日の長さの変化を感じ取って、春には生殖器が活発になったり、新しい活動への意欲が高まったりする。逆に秋になると代謝も落ち、少し物悲しい気分になりやすい。これは季節性うつ病とも関係していて、英語ではSAD(Seasonal Affective Disorder)と呼ばれています。
向井 ─ 平安時代の歌人たちが、秋の切ない気持ちをよく詠んでいたのも納得ですね。でも、春が来るのを今から楽しみにしている人も多いと思います。
上田 ─ その通りです。私たちの体は地球の自転による朝昼晩の変化だけでなく、公転による四季の移ろいも感じ取っている。つまり、私たちの中にも小さな地球があるようなものなんです。日の長さが少しずつ伸びていくこれからの季節は、体の中でも様々な変化が起きていきます。睡眠は、そんな季節の変化も支える大切な働きをしているんです。
睡眠研究が拓く未来
上田 ─ 睡眠研究の進展は、病気の早期発見にも大きな可能性を持っています。たとえば、認知症になる10年以上前から、特徴的な睡眠パターンが現れることが分かってきました。
向井 ─ それは驚きです。眠り方を見るだけで、そんなに早く予測できるんですか?
上田 ─ はい。現在、イギリスの10万人規模のデータを分析していて、睡眠パターンとさまざまな病気の関連が見えてきています。たとえば、アルツハイマー型認知症のような脳の状態とも関係があることが分かってきました。
向井 ─ 一般の方々も、日々の生活で気をつけられることはありますか?
上田 ─ そうですね。まず、自分の「睡眠の質」を意識することから始めてみてください。たとえば、休日と平日で睡眠時間の長さや、寝る時間・起きる時間が大きく変わっているなら要注意です。理想的なのは、起床時間と就寝時間の中間点が、平日も休日も変わらないことです。
向井 ─ なるほど。私も休日はゴロゴロお昼まで寝てしまったりするのですが、それは良くないんですね。
上田 ─ そうです。平日に睡眠不足が溜まっているサインかもしれません。また、最近の研究では、一日の活動量と睡眠の質に密接な関係があることも分かってきました。運動だけでなく、新しいことに挑戦したり、人と会話を楽しんだりするなど、脳を適度に使う活動も大切です。
向井 ─ もしかしたら、高齢者の認知症予防にも関係しそうですね。
上田 ─ その通りです。私たちが開発している睡眠健診では、そういった日々の活動と睡眠の関係も分析できます。将来的には、一人ひとりの生活リズムに合わせた、より細やかなアドバイスができるようになるでしょう。たとえば、「今日は活動量が少なかったので、明日は散歩を追加してみましょう」といった具合に。
向井 ─ 睡眠を通じて、私たちの健康をより科学的にサポートできるようになるんですね。
上田 ─ はい。でも最も大切なのは、睡眠を「面倒なもの」「時間の無駄」と考えるのではなく、心身の健康に不可欠な「大切な時間」として捉え直すことだと思います。

より良い眠りのために
向井 ─ 睡眠の重要性が怖いほどわかってきたのですが、とはいえ、夜中に目が覚めてしまって、「もう眠れない」と不安になってしまうことがあります。そんなとき、どうすればいいでしょうか?
上田 ─ 不安になるとより眠れなくなり、それがさらなる不安を生む……という悪循環に陥りがちです。でも、眠れないときは「眠らなければ」と焦らないことが大切です。静かに横になっているだけでも、脳と体は休息できています。寝返りを打つなど、リラックスした状態でいることで、自然と眠りにつけることも多いんです。
向井 ─ 「眠らなきゃ」と思い込み過ぎず、「横になっているんだから大丈夫」と考えればいいんですね。今日のお話を聞いて、睡眠のことをもっと知りたくなりました。私たちの生活の3分の1を占める睡眠なのに、これまであまりにも無関心だったなと。
上田 ─ その通りです。睡眠は単なる休息ではなく、脳の修復や記憶の定着など、さまざまな重要な働きをしています。「夜のために昼を生きる」という視点で、昼間を充実させることが、実は良質な睡眠への近道なのかもしれません。
向井 ─ 今日はワクワクするお話をたくさん聞けたので、夜眠ることが楽しみです! 本日はありがとうございました。
インタビューを終えて 睡眠について、これほど奥深い世界があったとは! 私は以前から睡眠には興味があり、友人にTENTIAL社の「爆寝」パジャマをプレゼントするなど、良質な眠りのための方法を探っていました。でも、今日のお話をうかがって、睡眠が持つ意味の深さを知ることができました。寝ることは脳を修復し、記憶を定着させる大切な時間。これからは「夜のために昼を生きる」という視点を持って、日中の過ごし方を工夫し、自分に合った眠り方を探っていくのが楽しみです。起きている時の自分と眠っている間の自分を擦り合わせていけば、きっと宝物に出会えるはず。それは必ず健康で充実した人生につながっていくに違いありません。今夜からさっそく、睡眠を楽しむ実験を始めてみようと思います。 |
上田泰己 PROFILE
生命科学者/東京大学大学院教授
1975年、福岡県生まれ
生命科学者。2003年より理化学研究所でチームリーダー、2009年にプロジェクトリーダー、2011年にグループディレクターを務め、2013年より東京大学 大学院医学系研究科教授。現在、久留米大学教授、東京大学 大学院情報理工学研究科教授などを兼務する。専門はシステム生物学で、睡眠・覚醒リズムの研究に取り組む。2020年にはスタートアップ・ACCELStarsを設立し、睡眠健診の社会実装を進めている。

向井亜紀 PROFILE
テレビ・ラジオなど幅広く活躍。1994年に元格闘家の髙田延彦氏と結婚。髙田氏とともに全国各地で親子向けの無料体育教室「髙田道場ダイヤモンドキッズカレッジ」を行い、のべ2万人以上の子どもたちとふれ合っている。またアフリカへ古着を送る活動、ゴミを出さない美味しい食生活などSDGsを実践している。
